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我が家の鳥コレクション「鳥がら」
人間国宝の雁金
 
鳥のカリガネに関心を持ったのは2004年秋伊豆沼・蕪栗沼撮影会でした。何かと教えて頂くTさんがカリガネを見たいと頻りに言っておられたから、珍しい鳥なのだなと思った訳です。金色のアイリングを是非写真に撮りたいと出かけたものです。ところが行って吃驚、余りの鳥の多さにとても探せるものではありませんでした。Tさんに付いていれば見られるかと出来るだけ傍にいたのですが、その時はやはりだめでした。そんな訳で、撮鳥控にも、撮鳥暦にもカリガネの写真は残念ながら有りません。

鳥々貼交に「我が家の鳥コレクション(鳥がら)」を始めるにあたり、「人間国宝の雁金」とタイトルを気張ってみました。とは言っても、尾形光琳の絵に国宝の雁金があったか、尾形乾山には?と訝る人はそそっかしい。紅梅白梅図屏風にカリガネは止まっていないし、まして私が国宝を所持出来る筈もない。では雁金屋の画集を所持しているのか? でもないのです。タイトルでは「国宝」と言ったのではなく、「人間国宝」と言ったのです。

「人間国宝」とは亡くなってますが、備前焼の藤原啓氏のことです。

未だ所帯を持つ前ですが、瀬戸内の備後国に住んでいたことがあります。海坂藩の城下町などと言えればかっこよいのですが、西部開拓地を思わせる殺風景な国境です。当時007の映画が流行っていたので、私たちの生活はショーンコネリーだと言う者もいました。残業して9時過ぎに帰ると、寮の食事も無くなり、近くでは食べる店もなく、仕方なく小便をしてそのままコロッと寝てしまう生活を続けてました。そんなある日、その寮を卒業した兄貴分のAさんと備前国へ所要で行った事があります。所要を済ませ隣の展示場の古備前を見た後、ひょんなことから啓氏の囲炉裏で柴錬や司馬遼について等の話を聞きながら昼飯を食べたのです。食後、注いでくれた徳利を無造作に新聞紙に包んで二人にさっと呉れました。狐につままれた感じでした。
最近近くの蕎麦屋にあった焼物の本で偶然、啓氏の作品には雁金があることを知り、早速その徳利を調べてみました。実は本人の作かどうかずーっと疑問に思っていたのです。

徳利(100mmΦ X 128mmH)をとっくりと見て下さい。
雁金が見えますか?

実はケース(119mmW X 120mmL X 169mmH)の左下に雅印が微かに見えますが雁金をデザインしたものだそうです。

右に雅印部分を切り出してみました。このケースは後日間に立った人が届けてくれた物です。



徳利の場合は、雁金を見るため鏡を使ってみました。右が拡大した画像です。竹べらか何かで一気に書いたのでしょうか。筆触を感じます。

しかし雁金と言われても何処が頭で何処が羽か理解に苦しみます。それでもじーっと見ながら、六文銭で御馴染みの真田家の家紋、 「結び雁金」を思い浮かべると、何と無く鳥の飛形 がイメージできませんか。

ところで、「雁金」は「カリガネAnser erythropus」なのでしょうか。
万葉の頃の「かりがね」は「雁、雁鳴、雁音」等と書かれ、「雁」と「雁の鳴き声」2つの意味で使われてました。
昔は「カリガネ」の飛来は多かったらしいのですが、 マガンAnser albifronsとカリガネの区別はされていなかったようです。 「雁金」の字は平安に入って使われだしたようです。「かりがね」が「雁」や「雁音」から「雁金」になる時は、可なりカリガネのアイリングを意識して「金」の字を当てたのではないかと愚考しています。 マガンとカリガネが区別されるようになったのは江戸時代初めの頃のようです.
明治生まれの藤原啓が「雁金」に「カリガネ」を意識してたことは充分に考えられます。

私が入手した時は1970年以前であるので、正確には人間国宝になる前の啓氏の「作品」です。売れないからか、気に入ったからか、身近にあったことは確かです。入手以来父が使ってきましたが、雁金を知って惜しくなり、取り上げています。

同時期に備前焼のぐい飲みも貰っていたので、今回藤原啓の作品かどうか調べてみましたが、雁金はいませんでした。世の中そんなに甘くない。

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